2010年1月17日日曜日

新作でもないCDに全世界のファンが熱狂する理由





1963年11月22日はジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺された日だと、多くの人々が記憶している。だがこの日は、もう1つの意味で歴史の転換点だった。ケネディがダラスで凶弾に倒れたその日、大西洋を隔てたイギリスで、ファブ・フォーというポップ音楽グループがその後アメリカで成功するきっかけとなるアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が発売されたのだ。

 約2カ月後、ファブの4人はアメリカに降り立った。そして、『エド・サリバン・ショー』やラジオを通じて流れるそのサウンドが、アメリカ国民を悲しみから目覚めさせた。

 ファブは史上最高のバンドだと盛り上がるファンは、たいてい2、3の点を褒めまくる。その歌、歌唱力、そしてスタイルだ(あのちょっと奇妙な髪形もそうかもしれない)。だがファブ・フォーのあふれる才能のなかでも特別だったのは、おそらく時代を読むそのセンスだ。

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の録音は66年11月に始まっていたが、このレコードが店頭に並んだのは67年6月1日。この日は偶然にも、アメリカ最大のヒッピームーブメント「サマー・オブ・ラブ」が始まった日でもあった。

 彼らが最後に録音したアルバム『アビイ・ロード』が発売されたのは69年9月。ウッドストック・フェスティバルが開催された約1カ月後であり、刺殺事件の起きたローリング・ストーンズのアルタモント・フリー・コンサートの約2カ月前だった。60年代が幕を閉じる、まさにその瞬間だ。

 ファブがほかのバンドとはまったく違う形で期待され、熱狂を呼び、文化を変えたバンドであり、これからもそうあり続けるという見方は誇張ではない。だがあの時代なしにビートルズは存在しなかったし、ファブなしのあの時代というのもあり得なかった。このタイミングこそが、彼らを特別なものにしている。

 9月9日に発売された全オリジナルアルバムのデジタルリマスター盤がピンぼけなのは、このためだ。時代とシンクロする、というポイントが完璧に抜け落ちている。確かに音質はいいかもしれないが、音楽をCDで聴くという行為はどうにも90年代っぽい。

大枚をはたく価値は?

 米市場調査会社NPDグループの音楽調査部門が先月行った調査によると、市場におけるデジタル音楽のシェアは現在35%に達している。07年の2倍だ。この勢いなら、MP3の売り上げは来年末までにCDを追い越すだろう。楽曲をiTunesで販売することを拒んでレコードやCDにこだわることは、「時代遅れ」(ファブがこれまで何とか貼られるのを避けてきたレッテルだ)なだけでは済まされない。

 それでもリマスター盤がバカ売れすることは確実だろう。言うまでもなく、ファブは今も格別の存在だ。最高の音楽が最高に愛されていたあの時代から聞こえてくる彼らの作品は、テクニック、革新性、緊張感そして情熱が生んだ奇跡といっていい。いま聴いても、録音した当時と同じくらい新しく、スリルがある。

 鼻にかかった声で恋人の心変わりを責める「アンナ」、突き刺すような12弦ギターの「ユー・キャント・ドゥ・ザット」、意味ありげなバックコーラスが付いた「ガール」、滑らかなドラムワークの「フィクシング・ア・ホール」、壮大なオルガンによる「ロング・ロング・ロング」、ホラーっぽい歌詞の「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」──どの曲もすべて、いつ聴いてもまったく輝きを失わない。ビートルズの音楽は、いつだってカネを払って聴く価値がある。

 とはいうものの、私たちの多くは既にファブのCDを購入済みだ。87年にCD化されて以来、ファブのアルバムは数千万枚を売り上げている。それでも、デジタルリマスター盤の音質がこれまでよりはるかに向上していることは大きな魅力に違いない。

 80年代半ばの再録音技術は未熟だったため、アビイ・ロード・スタジオ(ロンドン)の技術者たちはアナログ盤の音をそのままCDに復元することができなかった。ほかの人気グループが技術の進歩に合わせ数年ごとにリマスター盤を発売しても、ファブはずっとその流れに逆らってきた。

 CDの音質をこれ以上見過ごすことができなくなった技術者たちが、一曲一曲の技術的なミスを最小化する作業を始めたのは04年。パチパチという電気音やボーカルのポップノイズ、編集上の不具合などを修正し、音域をさらに広げる一方で、ディテールに磨きをかけた。

 今回発売されたリマスター盤をちゃんとしたステレオセットで再生すれば、これらの成果はすぐに分かる。例えて言うなら一連の作業は、バチカンのシスティナ礼拝堂の汚れを一枚一枚剥がしていったようなものだ。リマスター盤では外部の余計な音をすべて取り除いたり、全体的に音量を膨らませたり、曲を編集し直すという作業をあえてやらなかった。その結果、録音当時に本来響いていたであろう音を再現することができた。

ポールも称賛する音質

「ミズリー」のピアノには、輝きと響きが加わった。以前は聞き取れなかった「消えた恋」の3番にあるハーモニーが姿を現した。「タックスマン」のギターソロは以前に増して激しく響く。「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のエンディングにあるピアノ音(3台のピアノを使って、8つの手が奏でるEコード)は、ファブが本来意図したようなまとまりのある響きになった。低音は、すべての曲で87年のオリジナルに比べて温かくかつクリアに。歌声もより歯切れよくなり、存在感を増した。

 ポール・マッカートニー自身がリマスター盤について、「レコードの録音中、スピーカーから聞こえた音に近い。スタジオの中に戻ったみたいだ」と語っている。またモノラル音源のアルバムセットのおかげで、ほとんどのLPでファブ自身がベストと考えたバージョンを入手できることになった。新曲ではないにせよ、新しい何かが発売され、われわれはそれを買うことができるのだ。

 正直に言えば、音質をものすごく気にするのはオーディオ愛好家か熱狂的マニアくらい。リマスター盤を購入する人のほとんどは、古いバージョンに特に不満足というわけではないが、自分のCDコレクションをアップデートするために数百ドルを差し出す普通のファンである。

 彼らはなぜ買うのか。リマスター盤はMP3の台頭とともに廃れてしまったポップ音楽の楽しみ方を再び体験できる、おそらく最後の機会だからだ。

「文化を共有する」感覚

 私がファブに熱を上げ始めたのは80年代後半だった。学校から急いで帰り、『プリーズ・プリーズ・ミー』のカセットテープをラジカセに入れ、座り込んで「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が「ミズリー」「チェインズ」「アスク・ミー・ホワイ」へと続き、最後に強烈なシャウトで終わる「ツイスト・アンド・シャウト」につながるまでを聴きながらうっとりしたものだ。今となっては、iPodをシャッフルモードにして地下鉄へと下りつつ、たまにビートルズの曲がかかればニヤリとするだけだが。

 インターネットのおかげでより多くの人が、より多くの音楽に、より簡単にアクセスできるようになり、音楽業界の力関係はレコード会社からファンにシフトチェンジしてきた。だが、失われたものもある。リマスター盤が与えてくれるのは、音楽と過ごす魅惑的な時間だけではない。ターンテーブルやラジカセ、CDウォークマンの時代へのタイムスリップだ。

 おなじみの歌が素晴らしく生まれ変わったと知って、皆があたかも新曲が発売されたかのように、数年ぶりに、必死になって聴く。長い間忘れ去られていたどんな些細な部分も聞き逃すまいと、早送りボタンには触れず自然にエンディングが訪れるまで聴く。

 シャッフルしないで正しい曲順を守れば、アルバムの構成が何を意味するのか分かるだろう。そしてLP盤一枚一枚が1つの完結した「声明」であると気付き、他のLP盤との関係性も考えるようになる。ニッチ化されたこの世界が再び1つになって、自分と同じ歌を聴いているかのような錯覚に陥る──これは妄想かもしれないが。

 批評家のなかには、ファブのリマスター盤が発売されることを「CD時代の最後のあがきだ」と評する声もある。この視点はまったく正しい。だがリマスター盤の発売日に人々が買い求めたのはCDではない。つかの間ではあるが、肥大化し続ける世界が再び昔の快適なサイズに戻ったという、その感覚なのだ。

 不確実な時代において、文化を共有しているという感覚はレコード店で数ドル出して買うだけの価値がある。そのために、iPodの電源をいったん切らなければならないとしても。

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