2009年12月1日火曜日

たった1日で予約完売!



「This is it」再公開

ソニーは12月3日、6月に急逝したマイケル・ジャクソンさんの最後のコンサートのリハーサルを収録した映画「THIS IS IT」を再上映することを明らかにした。

10月末から4週間限定の公開だったが、上映館などからの再上映を要望する声が多かったことから再上映を決めたという。19日から日本国内限定で再上映する。

 配給元のソニー・ピクチャーズによると、日本では英国に次いで世界2位の興行収入があった。ソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長は同日のインタビューで「日本での評判が大きかったのはうれしい驚きだ。マイケルさんに共感を持っている人が多いのでは」と話した。

 同映画は、マイケルさんが死の直前に取り組んでいたロンドン公演のリハーサル模様を収録したドキュメンタリー映画で、音楽人生をかけてリハーサルに打ち込む姿が話題となった






来年の1月27日に、映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』のDVDとブルーレイが発売されるが、その中でもスペシャル仕様の1万セット限定生産のメモリアルDVDボックスが、発売日告知解禁だった11月30日の1日で、予約分をすべて完売したことがわかった。


1万セットもの予約がたった1日で完売するというのは、洋画はもちろん、ドキュメンタリー映画史上でも異例のこと。この『マイケル・ジャクソン THIS IS IT 』メモリアル DVD BOXは、約130分の映像特典に日本未発売の特製Tシャツと24ページのブックレットがセットになった限定生産。確かに予約は殺到するだろう。Amazon.co.jpDNDストアの売り上げ(予約)ランキングでは、第1位『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』デラックス・コレクターズ・エディション(2枚組)、2位に『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(特製ブックレット付き) [Blu-ray]がランクインするなど、1位~5位のランキングが、3位の『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を挟んで『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』関連が独占している。(12月1日時点)

 27日に公開が終了した映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』も大ヒットで、日米を含む世界25か国で初登場ナンバーワンの興収を記録し、北米では、11月24日時点で、コンサート・フィルムとして歴代記録を保持していた『ハンナ・モンタナ/ザ・コンサート 3D』の6,528 万ドル(約58億7520万円)を抜いて、7,070 万ドル(約63億6300万円)を記録し、歴代1位の成績を樹立。マドンナ、ローリング・ストーンズ、プリンス、トーキング・ヘッズなどのコンサート・フィルムの成績を抜いて、1位を獲得した。(1ドル=90円計算)

 また、2009年の日本国内興行成績でも1位の『ハリー・ポッターと謎のプリンス』、2 位の『レッドクリフ Part II -未来への最終決戦-』に続き、3 位を獲得(11 月26 日時点)となりコンサート・フィルム/ドキュメンタリーというジャンルで洋画年間トップ3入りを果たすのは、日本の映画史上初(ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの発表)となる。

DVD『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』コレクターズ・エディション(1枚組)は2010年1月27日より発売(税込み:2,980円)
ブルーレイ『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(税込み:4,980円)、DVD「マイケル・ジャクソン IN ソウル・トレイン」(税込み:3,990円)も同日発売

2009年11月15日日曜日

デジハリ2




歴史は繰り返す。だが、繰り返されるたび、意味合いは少しずつ変わっていく。


昨年、爆発的な人気となったトイカメラでも同じ現象が起きている。ちなみにトイカメラとはロシアや中国などで生産された「おもちゃのような」作りのカメラを言う。工業製品として見たときの性能は、日本やドイツのそれには遠く及ばない。だがプラスチックのレンズなどによる独特の仕上がりが一部ファンに支持され、1990年代には一躍ヒットアイテムとなった。だが一部の好事家を除いて、その後ブームは下火になっていった。


1990年代のヒットが「物珍しさ」によるものだとすれば、2008年のトイカメラブームはデジタルへのアンチテーゼだった。撮影前から液晶で仕上がりが予想でき、誰もがきちんとした写真を撮ることができる。最近ではセンサーで人間の顔を感知し、笑顔の瞬間を狙って自動的にシャッターを切るデジタルカメラすら登場した。確かにラクではあるが、市販のデジカメから、「撮る快感」は失われていった。それが故、トイカメラのような手触りを求める人を中心にまったく逆のブームが巻き起こったのだ。


だが、フィルムカメラを取り巻く環境は厳しい。トイカメラでも使われるカートリッジタイプの110フィルムは2010年9月に富士フイルムの出荷予定分を最後に、その歴史に終止符を打つことが決定している。


だが、カメラにはまだ愉しみが残されている。そう思える"デジタルトイカメラ"が2009年に続々と登場した。その代表格が今年3月に発売された「デジタルハリネズミ」。画素数は7~8年前のデジカメレベルの200万画素しかなく、液晶を使ってのプレビュー機能もない。液晶自体はあるものの、撮影するまで仕上がりはわからず、撮影者は曖昧な撮影範囲を示すファインダーを頼りにシャッターを切ることになる。つまり、仕上がりを見るまで、どんな画が撮影できたのかわからない、あのワクワク感がこのカメラにはあるのだ。


"トイデジカメ"だけあって、動画の撮影も可能だが、初代は音の収録機能は盛り込まず、デジタルでありながら8ミリカメラのような世界観が演出されていた。静止画のプレビュー機能も、動画に音を付加することも、現代ではさして難しい技術ではない。だが、「デジタルハリネズミ」は、敢えてそうした機能に背を向けた。機能に何を足すかではなく、いまある機能から何を引くか、そんなソリッドな魅力にこのトイデジカメはあふれている。


ある数学者は、「最初から"解"がわかっている問題に、数学者は何の魅力も感じない」といった。老舗の和食店の料理人は「その日の水揚げがわからないからこそ、市場に行くとワクワクする」という。


本日11月12日からは、機能を向上させた「デジタルハリネズミ2」が渋谷パルコ1ロゴスギャラリーで先行発売される。ただしその変化は、画素数を200万→300万画素と微妙に向上させ、音声付きの動画撮影が可能になったという程度。初代の「ビビッドな色合い」や「デフォルメされた画面」は健在であり、パルコでのイベントにはこの“トイデジ”の熱烈なファンである米映画監督のスパイク・ジョーンズや写真家のティム・バーバーなどの作品も展示される。


撮ってドキドキし、見てワクワクする。写真が本来持っていた魅力がそこにはあるはずだ。


『デジタルハリネズミ2/パワーショベル』

"トイデジ"の魅力満載の「デジタルハリネズミ」の2代目。MoMAなど海外のミュージアムショップで取り扱われるなど、爆発的な人気を博した初代に続く2代目となる。今日12日から24日まで、渋谷パルコ・ロゴスギャラリーにて発売記念イベント「DIGITAL HARINEZUMI 2 YOU!」が開催。アーティストの作品展のみならず、レアな限定モデルなども販売されるという。イベントの入場は無料。"デジハリ2"の価格は1万5750円。

http://www.superheadz.com/digitalharinezumi/

2009年10月4日日曜日

前売り売り上、初日で1億円



10月28日(水)より2週間限定で世界同時公開する映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』。日本時間9月28日(月)から全世界で前売り券が同時発売開始されましたが、日本では各プレイガイド、劇場など全国でそれぞれ驚異的な売上げを記録しました! ローソンチケットでは、前売鑑賞券初日発売枚数の歴代1位となる56,746枚(9月28日現在)を記録。劇場では、先着300人限定でUS版ポスター付きの前売鑑賞券を発売し、500人以上のファンが早朝から長蛇の列を作った新宿ピカデリーを筆頭に、全国296館の劇場で30,176枚(9月28日現在)の売上げを記録。合計約87,000枚、1億円超えという記録的な数字を叩き出し、マイケルに対する関心の高さとファンの熱狂ぶりを感じさせる結果となりました。
 
 世界でも前売りが同時発売されており、全世界でセールス枚数の記録を樹立していますが、日本の87,000枚(約127万ドル)は〈THIS IS IT〉コンサート開催予定地であったイギリスの3万枚を抜いてトップのセールスとなっています。また、同作は10月28日(水)の初回上映時間を19時からとし、全国劇場で解禁、公開することが決定しました。同作のプレミアは、LA現地時間10月27日(火)18時にワールドプレミア、日本では28日(水)18時にジャパンプレミアが開催されるほか、世界25ヵ国以上で実施されます。初日初回解禁時間は、LAのワールドプレミアの3時間後に一般公開が開始されるほぼ同時刻に設定されており、世界が同時に体感、遭遇する一大イベントとなることでしょう。

2009年9月26日土曜日

全米チャートの1位から5位までを独占!




米音楽業界誌 Billboard のアルバム・チャート(9/26付)にビートルズのボックスセットと全リマスター・アルバムが初登場しました。リマスター・アルバムはオリジナル盤のリリースから18ヶ月以上経過しているため総合チャート(The Billboard 200)ではなくカタログ・アルバム・チャート(Catalog Albums)にランクされています。


Catalog Albums (2009/9/26付)
This Last
Week Week Title / Artist

 1 (new) Abbey Road / The Beatles
 2 (new) Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band / The Beatles
 3 (new) The Beatles / The Beatles
 4 (new) Rubber Soul / The Beatles
 5 (new) Revolver / The Beatles
 6 (?) Number Ones / Michael Jackson
 7 (new) Help! / The Beatles
 8 (new) Let It Be / The Beatles
 9 (new) Past Masters / The Beatles
10 (new) Magical Mystery Tour / The Beatles
11 (new) A Hard Day's Night / The Beatles
12 (new) Please Please Me / The Beatles
13 (new) With the Beatles / The Beatles
14 (new) Beatles for Sale / The Beatles
18 (??) 1 / The Beatles
17 (new) Yellow Submarine / The Beatles

2009年7月26日日曜日

MJ急逝後1カ月でCD/DVD売上14.4億円




オリコン株式会社は、6月25日にマイケル・ジャクソンが急逝した後のCD/DVD売上が14.4億円に達したと発表した。

 7月27日付けのDVDランキング(集計期間:7月13日~19日)において、「ライヴ・イン・ブカレスト」(総合5位)、「ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー」(総合6位)、「ナンバーワンズ」(総合8位)の3作が先週に続き、ミュージックDVD部門でトップ3を独占。2週連続でトップ3を独占したアーティストは史上初という。ほかにも「ヒストリー・オン・フィルムVOLUME II』(総合12位)や「ムーンウォーカー(09.07)」(総合18位)など計7作がランクインした。

 逝去後の7月6日付~7月27日付のマイケル・ジャクソン名義のDVD(洋画含む)売上総額は7.1億円。また、CDアルバムランキング50位以内には、前週の3作を上回る8作がランクイン、総額は7.3億円に達した。DVDとCDを合わせると10億円を突破し、14.4億円となる。

 なお、7月27日付けDVDランキングの総合首位は3週連続で「崖の上のポニョ」(売上5.1万枚)。同一アニメ作品による3週連続首位は「ファインディング・ニモ」(2004年7月12日付け)以来5年ぶりとなる。宮崎駿監督作品では「千と千尋の神隠し」(2002年8月12日付)以来約7年ぶり。Blu-ray Discの総合首位は「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」の0.5万枚。

2009年7月19日日曜日

R・サディーク「ザ・ウェイ・アイ・シー・イット」



1950年代のサン・レコードで用いられたスラップバック・エコーであれ、1960年代のマッスル・ショールズ(アラバマ州のR&B系名ス タジオ)でリズム・セクション向けに施された独特な伴奏/アレンジ手法であれ、かつての伝説のサウンドを再現するアプローチは素晴らしい音楽制作方法の1 つだと思う。しかしながら特定の音楽スタイルのフィールを忠実に踏襲しながら、それを全く新しい楽曲に取り込むというアプローチもまた素晴らしい。ラファ エル・サディークの最新作『ザ・ウェイ・アイ・シー・イット』は、後者のアプローチを用いて作り上げられたアルバムだ。3部門でグラミー賞候補に挙がるな ど既に高い評価を受けているこの作品について、話を聞いてみた。

このアルバムは僕のキャリアの集大成的な作品だ
「このレコードを作っていたとき、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、アル・グリーン、ザ・フォー・トップスらのビデオを見ていた。すると連中の音楽を1つに融合してみたくなったんだ」と新作についてサディークは語り始めた。

「そしてそれを一度やり出すとハマッてしまい、昔よく聴いていたオールド・スクール系のシンガーたちのキャラクターに魅入られたかのようにその世界 から抜け出せなくなった。このアルバムは、僕が育ちながら聴いた音楽を通して僕がこれまでの人生で経験したことや、そうした音楽から受けた影響をまとめ た、僕のキャリアの集大成的な作品だ」

1966年にカリフォルニア州オークランドで生まれたサディークは、本名をチャーリー・レイ・ウィギンズという。幼少のころより独学でさまざまな楽 器を修得し、6歳までにはギター、ベース、ドラムを演奏するマルチプレイヤーになっていた。9歳になると地元のゴスペル・グループの一員として音楽活動を スタートさせるなど、その才能は早くから開花していたようだ。そんなサディークが"ラファエル・ウィギンズ"なる芸名でプロのミュージシャンとしての道を 歩み始めたのは、高校卒業の直後からだった。

プロとなってからもその才能はますます輝き、1986年には早くもプリンスの「パレード・ツアー」のサポート・メンバーに抜てきされたほか、さらに その2年後には兄弟のドウェイン・ウィギンズと従兄弟のティモシー・クリスチャン・ライリーらと共にR&Bユニット=トニー・トニー・トニーを結 成し、そのボーカリストとしてフロントマンを務めるようになる。2ndアルバム『The Revival』(1990年)により、メインストリームでの成功をおう歌することにもなったユニットだ。

1990年代半ばに"ラファエル・サディーク"へと改名すると、『ハイヤー・ラーニング』といった映画のサントラ向けにソロ・シングルを相次いでレ コーディング、しばらくはアーティストとしてのソロ活動が続く。一方、アン・ヴォーグのドーン・ロビンソンとア・トライブ・コールド・クエストのアリ・ シャヒード・ムハマッドらと共にアルバム『Lucy Pearl』を制作し、"ルーシー・パール"というこのアルバム限定のR&Bスーパー・ユニットで活動したのも、この時期だ。

サディークはこのころからメイシー・グレイ、TL
Cなどのほか、ザ・ルーツ、ディアンジェロといった、身内のアーティストたちのプロデュースにも乗り出し始める。2000年のグラミー賞に輝いたディアンジェロの「アンタイトルド」は、サディークが手掛けた曲でもある。

そしてその2年後の2002年、サディークは初のソロ・アルバム『Instant Vintage』を自身が立ち上げたプーキー・エンタテインメント・レーベルからリリースする。2004年には2枚目のスタジオ・ソロ・アルバム『レイ・ レイ』を発表。ブラックスプロイテーション・フィルムの時代をテーマにしたファンク・オリエントなアルバムだ。そしてそのころから制作サイドの仕事を本格 化させたサディークは、ホイットニー・ヒューストン、メアリー・J.ブライジ、スヌープ・ドッグといったビッグ・アーティストの作品にプロデューサー、ソ ングライター、ミュージシャンなどさまざまな形で関与するようになる。

リスナーを1つにするような音楽を作りたいんだ
『ザ・ウェイ・アイ・シー・イット』はそうした状況の中、サディークが新たなるインスピレーションを求めて、コスタリカやバハマ諸島を旅したことがきっかけで誕生したという。

「サーフィンをしていると、世界のさまざまなところから来たいろいろな人たちと出会うんだ」とサディークは回想する。

「そしてあるとき、彼らの多くが往年のソウル・ミュージックを聴いていることに気付いたんだ。だからだろうか、帰国して仕事に戻ると、このアルバム をどのようなものにすべきか、その方向性がごく自然と頭の中に浮かんできた。そして僕は幸いにも自分のスタジオを持っているので、その頭に浮かんだ理想の 音楽をじっくり時間をかけて追求できたんだ。すべての曲を納得できる形に仕上げるまでに4カ月ほどかかった」

サディークのスタジオはノース・ハリウッドにあるブレークスリーという独立したスタジオで、いわゆるホーム・スタジオではない。 DIGIDESIGN Pr
o ToolsとSSL XL 9000 Kを中核に、多種多様な最新機材とビンテージ機材を豊富に取りそろえたスタジオで、その中にはアビイ・ロードから購入したというキック用のマイクもある。

昔ながらのレコーディングを踏襲するということで、マイクやアウトボード機材のセッティングは自然とシンプルなものとなった。例えばマイキングを見 れば、ギターには個性豊かなサウンドを得るためにNEUMANN U47、また、このアルバムのためにサディークが特にこだわって購入した1960年代のLUDWIG製ドラム・キットのオーバーヘッドにはU47もしくは U67、キックにはAKG D12とC414、スネアにはハードなスラップ音が得られるスネア向けの定番マイクがそれぞれ使われるといった具合だ。ちなみにこのプロジェクトでは、ド ラム・キットのサウンドにさらなる温かみを加えることを目的にテープ・マシンが使われており、中古のAMPEXがそのために数台購入されたという。テー プ・マシン購入の際、エンジニアのチャールズ・ブルンガートはセールスマンのアドバイスに従い、プリアンプを取り除き、配線に手を加え、改造したテープ・ マシンをPro Toolsの前につないで使ったという。

「昔の曲のような2~3分の短い曲を歌いたいとずっと思っていた。人々がそれを聴き、また昔のような短い曲を聴きたいと思うようになればいいと願いながらね」とサディークが続ける。

「スタックスやモータウンのアーティスト、また、ザ・ビートルズなど、短い曲で人々の心を奪ったアーティストは少なからずいる。僕の場合、ほかの ミュージシャンが魅力を感じるだけでなく、いわゆる商業的な音楽が大好きな一般リスナーをも魅了する音楽を作るのが昔から好きだった。40~50代のジャ ズ・ファン、15~16歳の流行に敏感なティーン、クールな黒人ラッパーなど、幅広い層の人たちに支持され、リスナーを1つにするような音楽を作りたいと 願いながらこの仕事を続けてきた。音楽とは本来そうあるべきものだと思うし、聴く音楽によってリスナーが分断されてしまう最近の傾向は、間違っていると思う」

テイクの完ぺきさより作品に込めた魂の方が大切だ
「正直言うと、このアルバムを実際に作っていたときは、意図的に再現しようと狙いを定めたサウンドは特になかった」とサディークが続ける。

「ありのままの自分をそのまま出して作ったというのが本当のところだ。これまでの人生で自然と身に付いた音楽とでも言おうか、気が付くとこのアルバ ムのような音楽を自然と作っていたんだ。少なくとも、誰それの真似をするために無理に自分を曲げるといった具合では決してなかった。いつまでも目覚めたく ない素敵な夢を見ているような感覚だったよ。ちなみにアルバム・タイトルを"The Way I See It(僕の物の見方)"としたのも、そうした理由からだ。実際、このアルバムは僕がこれまでに作ったどのアルバムより、僕らしい作風の作品になったと思 う」

作曲については「ほとんどギター1本で、すべての曲を作った」のだという。

「最初にリフが頭に浮かび、次に歌を頭の中で思い描く感じで曲を作っていった。作曲については基本的にすべて1人でやったが、ほかの誰かと一緒にア イディアを交換しながら作ることが嫌いなわけではない。もし昔のスタックスやモータウンのようなスタッフ・ライターを何人も抱えることができたなら、僕は 毎週のように新しいレコードを作り上げていると思う。しかし音楽業界を取り巻く状況は変わってしまい、そんなぜいたくな環境で仕事をすることなどかなわな くなった。エンジニアのチャールズを除けば、1人部屋にこもり、1人で歌を歌いながらドラムをたたき、ギターをその上に重ね、ベースを弾き、ベーシックな ピアノ・パートを演奏し、ボーカルを録り、後でストリングスを録音するといった仕事のやり方に甘んじなければならないのが現実だ」

ボーカルに関して言えば、SHURE SM7に歌を吹き込むことで、サディークはその癖のないクリーンなボーカル・サウンドに独特の個性を与えている。サウンド全体がやや"とがった"感じに なったほか、厚みが増し、また、ディストーションのかかった感じの仕上がりとなった。ブルンガートの方でもレコーディング時にFAIRCHILD Model 670で、さらにミキシング時にもプラグインのMASSEY PLUGINS Tape-Headでボーカル・サウンドに質感を加えたという。

「自分自身のボーカルについては、誰もいないスタジオで1人で録る方が簡単でいい」とサディークが付け加える。

「ほかの誰かがスタジオにいると、感想やアドバイスを求めたりしてしまうからだ。その誰かが本当に正しい答えを返してくるとは限らないからね。ちな みに僕には完ぺきなテイクを録ろうとする傾向があるが、一方、完ぺきに狙い通りではなくても、そのテイクに2度ととらえられない良いフィールが感じられる 場合、そのままにしておくことも多い。たとえ音程が多少外れていてもね。実際、僕のレコードにそうした個所は幾つも存在する。完ぺきさを求めて作品を作っ ている訳ではないからね。作品に込められた"魂"が大切なんだ」

サディークは「僕は作品が完成したかどうかを見極める才能は、ある方だと思う」続ける。

「曲の完成時は、その時が来たら簡単に分かるんだ。僕の場合、制作中の曲を四六時中、深夜になっても聴き続けている。家に帰って制作中の曲を聴くの もプロデューサーとしての仕事の一環だと思っているからね。そして曲に心を揺さぶる何かを感じたら、それが完成のタイミングということにしている。マリネ 漬けした食材にマリナードの味が染み込んでいく感覚だ。こうしたアプローチを踏襲し続けていると、曲を再生して聴くだけで自分の心がその曲によってどのよ うに揺さぶられているのか把握できるようになり、リスナーの心もきっと同じように揺さぶられるだろうと確信できるようになる」

スティーヴィーに電話すると彼は珍しく1時間半で来てくれた
グルーブ感あふれるノリの良い演奏をサディークは好んでいるようだが、それはそのままこのアルバムの魅力の1つにもなっている。そしてサディークの 好むこうしたアプローチは、マーヴィン・ゲイ的な作風の「ネヴァー・ギブ・ユー・アップ」にゲスト参加し、一発でそれと分かる独特のハーモニカ演奏を披露 しているある大物アーティストと共通するものである。サディークがCJヒルトンと共作したこの耳当たりのよいミドル・テンポの曲には、スティーヴィー・ワ ンダーが参加しているのだ。

スティーヴィーが演奏に参加するところで、ボーカルを務めるサディークは途中で歌を中断し、"スティーヴィー・ワンダー氏をアルバムにお迎えしたい と思います。スティーヴィーどうぞ!"といったMCと共にリスナーに紹介しているが、スティーヴィー自身、1982年のアルバム『ミュージックエイリア ム』に収録された「ドゥ・アイ・ドゥ」の中で"レディース・アンド・ジェントルメン。私のアルバムにディジー・ガレスピー氏を迎えられたことをうれしく思 います"といった同様のMCを入れて、ゲスト参加した伝説のジャズ・トランペッターを紹介している。スティーヴィー絡みで同じような演出を凝らした点が面 白い。

「あの曲は、大物スターがそろい踏みしたような曲だった」とサディークが続ける。

「CJヒルトンもBルームでドラムとキーボードを弾いてくれたしね。ちなみに僕はベースとギターを担当した。ボーカルはCJと2人で分担し、それぞ れが自分が歌詞を作った平歌を歌った。"CJ、そっちが作った平歌はそっちで歌ってくれ。おれは自分の作った平歌を歌うから。早くやっつけてしまおうぜ" といった具合にね。ちなみに僕がスティーヴィーを紹介するMCの部分は、スティーヴィーがゲストとして参加するかどうかまだ正式に決定しないうちに吹き込 んだものだ。だからもしスティーヴィーがハーモニカを吹いてくれなければ、あのMC部分を消すか、ハーモニカ・ソロの部分を僕がスティーヴィーになりすま して口ずさむしかなかった」

サディークとスティーヴィーとは「昔から面識があった」のだという。

「もっとも、僕が電話しても、彼が家にいることは滅多になかったが......。しかし幸運にも今回ばかりはいつもと異なり、ゲスト参加の依頼のた めに電話をすると、本人が受話器を取り上げ"このバカが何か用か?"と返してきてくれた。それで僕は"いや、実はレコードを作っていて、ハーモニカ・ソロ を披露してほしいんです"とお願いした。すると"いつそっちに出向けばいい?"と聞いてきたので、"できれば1時間ほどで"と返した。時計を見ると昼の 12時半だった。彼は"1時間後か?"と聞き返し、"そう、1時間後にお願いします"と僕があらためてめてお願いすると、"1時間後かい?"と何度も繰り 返す......。もちろん彼ほどの大物ともなれば、誰かのために1時間で支度して現場に赴くなんてことは絶対にない。とりわけスティーヴィーなら、1時 間後に来ると言えば、2週間後に来ても早いくらいだ。だから大して期待していなかったのだが、その日はどうしたことか電話を切ってから1時間半後には僕の スタジオに来てくれた。スタジオに入るとスティーヴィーはしばらくキーボードをつま弾いていたが、一段落すると"それじゃ曲を聴かせてくれ"と言ってきた ので、僕はさっそく曲を披露した。するとスティーヴィーはすぐさまハーモニカ・ソロを吹き出し、終わると即座に"これでいいかい?"と僕に演奏の出来を確 認してきた。そして"見事です"と言う僕に対し、何度も"本当にこれでいいのか?"と念を押してくる。しばらくやり取りをした後、遠慮する僕を気の毒に 思ったのか"いや、もう一度だけ吹かせてくれ"と言って、結局もうワンテイク分吹いてくれた。レコードに残ったのは、その2回目のテイクの方だ」

このアルバムには大物ゲストがほかにも参加しており、目玉と呼べるウリが幾つもある。例えばジョス・ストーンのボーカルが堪能できる1970年代ソウル色の濃い「ジャスト・ワン・キス」。サディークによれば、ストーンはほぼ二つ返事で参加を快諾してくれたという。

「ジョスは昔の偉大な名曲を深く理解し、その真価を高く認めているからね。歌ってもらう交渉をするのに苦労することはなかった」

「サムタイムス」は僕なりの「風に吹かれて」なんだ
今回のアルバムの中でサディークが個人的に最も好きな曲の1つは、冒頭を飾る「シュア・ホープ・ユー・ミーン・イット」だという。

「あの曲をオープニング・ナンバーにしたのは、アルバムを聴くリスナーに、彼らがこれから出発する"音楽旅行"を意識してもらいたかったからだ」とサディークが説明する。

「例えるなら、男3人を相手にケンカをするときの効果的な戦術を使ったと言える。一番強そうな大男を最初に殴り倒せば、残りの2人は怖じ気づき、そ の2人には戦わずして勝てるという戦術をね。この業界で自分のやりたいことをやり続けるには、常に戦い続けなければならないと僕は思っている。だからこ そ、最も強そうな男に相当する「シュア~」を1曲目に持ってきたわけだ。自信作を最初にガーンと聴かせれば、リスナーの誰もが黙って残りの曲を聴くと思っ てね」

また同曲は、ザ・テンプテーションズに対するサディークの愛情が感じられる曲でもある。「エディ・ケンドリックス、ポール・ウィリアムズなどザ・テンプテーションズのメンバーが世に初めて出たときの様子を想像しながら作った曲だ」とサディークが説明する。

「彼らになり切ろうと、彼らのアルバムのジャケットを眺めたりね。一言で説明すれば、ビンテージ・モータウン・サウンドにスタックスのギター・ラインを加えた感じの曲だと思う」

また「100 ヤード・ダッシュ」については、「安酒場が似合うブッカー・Tのようなグルーブを持った曲だ」と言い、「ステイング・イン・ラヴ」については、「ジャクソ ン5のレコードをほうふつさせる曲だ」と説明する。モータウン風のエネルギーに満ちあふれた曲調だけでなく、自ら弾いたジェームス・ジェマーソンばりの ベース・ラインが、まさにジャクソン5といった雰囲気を醸し出している。ちなみにサディークが使用したベースはFENDER P-Bassで、DIのAVALON DESIGN M5を通してライン録りした後、プラグインのCRANE SONG Phoenix、WAVES PuigTec EQP-1Aなどでサウンドを整えたという。

「この「ステイング~」は、昔の彼女のことを思いながら作った曲だ」とサディークが続ける。

「一部はフィクションだが、事実に基づく部分もある」

虚実が入り交じった歌詞世界は「レッツ・テイク・ア・ウォーク」も同様らしい。"This place is cr
owded/Don't know 'bout you/I need some sex/Some sex with you(ここは人が多過ぎる/僕はキミのことを知らない/セックスしなければ/キミとセックスしなければ)"という、決して繊細ではないが、かといって何 かをストレートに伝えるでもない歌詞で始まる曲だ。

一方「サムタイムス」は、アルバムの最後を飾るのにこれほどふさわしい曲はないというほど魂を揺さぶる、感動的な曲である。内省的な歌詞を持つリズ ミカルなミドル・テンポの曲で、サディークによれば「自分の心をありのままつづった曲で、僕のこれまでの人生を1つの作品にまとめた集大成」とのことだ。 サディークのボーカルについては、かの偉大なるサム・クックの晩年のパフォーマンスをほうふつさせる魂が感じられる。

「実はあの曲のレコーディングが一番てこずった」とサディークが振り返る。

「あまりにもパーソナルな曲だからね。言ってみれば僕なりの「風に吹かれて」だ。サム・クックもボブ・ディランの「風に吹かれて」には感銘を受けて いたらしい。僕も最初にあの曲を聴いたとき、そしてディランが伝えようとしているメッセージを理解したとき、びっくりしたもんだ。"スゲエ!"と目からう ろこが落ちた気がした」

「No More Auction Block(競売はたくさんだ)」なる黒人霊歌にインスパイアされて作られたディランの「風に吹かれて」は、1963年のアルバム『フリーホイーリン・ボ ブ・ディラン』に収録されると、当時盛り上がりを見せていた公民権運動を後押しするプロテスト・ソングとして世間に広く知られるようになる。サム・クック はこの曲を聴いて感動し、とりわけ白人の若者が人種問題をこれだけ痛烈に批判した歌詞を書いたという点に驚いたという。感服したクックはライブでこの曲を 歌っただけでなく、返歌として「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を作ることになる。

それから約45年、変化は本当に訪れた。少なくとも多くの人がそう感じる、アメリカ初の黒人大統領の誕生という大きな変化があったことは事実であ る。そして「サムタイムス」がレコーディングされたのが、この歴史的な出来事のはるか以前だったにもかかわらず、曲の中には実に時宜を得たメッセージがリ フレイン部に込められているとサディークは主張する。
This road is strange, so strange it is(この道は変わっている、実に変わっている)
You know it really hurts inside yeah, sometimes(ときどき、心が本当に痛むときがある)
No matter how good you are to people you know(どんなに他人によくしても)
They'll make you cry sometimes yeah, sometimes(ときどき、他人から泣かされることがある)

「あの曲は若者たちだけでなく、すべての年代の人々に向けてメッセージを発信しているが、それだけではない。人生に対する僕の信念を表明した曲でもある」とサディークが続ける。

「下り坂を急激に転がり落ちるような厳しい局面が人生にはある。そしてそんな局面に陥ったとき、人は強い愛情による支えを必要とする。そうしたこと を歌った曲なんだが、必要なエネルギーとフィーリングを込めて歌うことがなかなかできなかった。結局、プロジェクトの最後の方まで納得できる仕上がりにす ることができず、アルバム収録曲で最後に手掛けた曲となった」

リスナーがレコードを買ったのはアーティストにほれていたからだ
1960年代末から1970年代初頭にかけて全盛を極めたクラシック・モータウン・レコードの多くと同様、『ザ・ウェイ~』はエネルギーに満ちあふれた作品であり、収録された2~4分の長さからなる13曲は、いずれもリスナーの心を最初から最後までとらえて離さない。

このアルバムは、サディークがコンサートで披露するパフォーマンスに上質の素材を提供することにもなった。実はサディークは、2008年11月と 12月にジョン・レジェンドのコンサートをサポートするのに先立って、昨夏にヨーロッパ・ツアーに出ており、既にそのツアーでアルバム収録曲を披露してい る。

「音楽とは、昔はそうしたものだった」とサディークが言う。

「つまり、リスナーがレコードを必死に買い求めたのは、リスナーがアーティストにほれていたからだった。対して現代のリスナーの多くはアーティスト にほれておらず、だからレコードを買うことにそれほど熱心ではない。そうなった責任は音楽業界側にある。例えば、ある女の子に熱を上げていれば、その娘の 欲しいものは何でも買ってあげたいと思うものだ。しかし昨今の音楽業界のリスナーに対する態度は、自分の好きな娘を本気で愛さず、小手先でだましているよ うなものだと思う。そんなことをし続ければ、彼女が去ってしまうのは当たり前だ。だから僕らは今一度、好きな娘を本気で愛し、彼女に対して誠実にならなけ ればならない。それにはまず、リスナーの目の前で演奏できる音楽を再び作り始めなければならないと思う。リスナーが本当に気に入る音楽さえ作れば、メディ アのフォーマットなんか関係ない」

『ザ・ウェイ~』はCDだけでなく、数枚の7インチ・シングルが入ったコレクターズ・エディションもリリースされているが、その背景にはサディーク のそうした考えがあったと思われる。いずれにせよメディアやフォーマットに関係なく、コンテンツである音楽は1950年代~1960年代ポップスに感じら れる歓喜と自由に満ちあふれている。それはサディークが未来にそのまま残し伝えたいと考えるフィーリングでもある。

「こうしたタイプのポピュラー・ミュージックをこれからも作り続けたいと思っている」とサディークは最後に語ってくれた。

「僕がこだわり続けたい音楽だからだ。もちろん多少の変化はあるかもしれないが、いずれにせよ流行に乗ったおしゃれな音楽はやりたくない。ブルージーなやり方でリスナーを感動させるのが好きなんだ」

2009年6月21日日曜日

物語は世界共通言語





魂の中に降りていく作業

 「今、次の長編を書いています。長いんです。やたら長いの!」
 村上さんは現在執筆中の長編のことから、話し始めた。

「毎日5、6時間も机に向かい、もう1年2ヶ月ぐらい、ずーと書いている」という。
 昨秋、村上さんは『走ることについて語るときに僕の語ること』を出版した。
フルマラソンのランナーとして、トライアスロンの選手としての自身の体験を書いた本だが、
それは「走ること」と「書くこと」の関係を記した本でもある

 「『羊をめぐる冒険』(1982年)を書き終えて、すぐに走りだしたんです。
これを書いて、長編小説を書くのは大変なことだなあと思った。
運動して、体をしっかりしていないといけないと思ったのが動機ですね」
 ”原稿用紙にたばこのにおいが染みついている”ほどのヘビースモーカーだったが、
そのたばこも同時にやめてしまった。


■ 一に足腰

 「30代と同じ物語を書いていては駄目で、
一作ごとに新しい可能性を広げていかないと物語というのは発展していかないんです。
そのためには何か広げていく力というのが必要。それが走ることなんです。

毎日長い時間座って考え、書くことは大変です。『一に足腰、二に文体』ですよ」
 夜は早く寝て深夜起きて、2時か3時ぐらいから朝まで小説を書き、
そして走るという日々。その村上さんの小説は今、世界で読まれている。
 日本でも出す本がすべてベストセラーになる超人気作家だが、
海外での人気ぶりを分かりやすい目安で示すと、村上さんの年収は海外分が、
既に国内分を上回っている。

「そういう事態になった時は、僕もすごく驚いた。(マネージメントをする)事務所の人たちの
仕事量も今は3分の2は外国とのものです」
 これほどの人気作家は日本文学史上初めてのことだ。
本人は世界的人気の理由をどのように考えているのだろうか。

 「理由ははっきりとはわからないですね。
でも物語の面白さと文体が割とユニバーサルな浸透力を持っていたからではないかと思います」
 「物語」と「文体」についてさらに聞くと。
 「物語は世界の共通言語ですよ。面白い物語は誰でも読む。
例えばディケンズの物語が面白ければ、どこの国の人でも読むんですよ。
僕の文体は日本語の日本語性みたいなものに、あまり寄りかからない文体です。
だから翻訳過程で失われるものが、比較的少ないのではないかと思います。」


■ 同じ世界

 どうして物語は世界共通言語となるのだろう。
 「物語を書いていくことは、自分の魂の中に降りていく作業です。
そこは真っ暗な世界。生とも死とも不確かで混沌としている。

言葉もなければ、善悪の基準もない世界」
 人々が生活する社会では各国で言葉も違う。環境も違う。思想も違う。
 「でも魂の世界まで降りていくと、そこは同じ世界なんですよ。

それゆえに物語がいろいろな文化の差を超えて、理解し合えるのだと思う」
 さらに加えて、村上さんは「だからこそ、世界中、これだけ文化が違っているのに、
神話というのは、似通った部分がすごくあるのだと思いますよ」と語った。


日本の怖さを映す戦争
 
去年亡くなった臨床心理学者の河合隼雄さんが、唯一、繰り返し対談する年長の知識人だった。
 「僕が『物語』という言葉を使って話すときに、その意味をきちんと理解してくれるのは、河合先生ぐらいだった」

 村上さんにとって、物語を書くことは魂の奥深く降りていくこと。
 「物語というものは非常に有益なことでもあるのですが、一方でものすごく危険なことでもあるのです。このことを河合先生は本当によく分かっていた。単なる研究者ではなく、実際の患者を診てきた人ゆえの、戦場をくぐり抜けてきたみたいなすごさがありました。」


■ 自省の念

 人間は自分の中にそれぞれの物語を持っているが、魂の底まで降りていくと、その暗い部分から抜け出せなくなってしまう場合がある。

物語の危険性とはそのようなことだろうか。そこからどうやってオープンな世界に戻って来られるのか。
 「僕が『アンダーグラウンド』でやったことも、そういうところから来ていると思うんです」
 『アンダーグラウンド』は村上さんが地下鉄サリン事件の被害者やその関係者たち約六十人にインタビューしたノンフィクションだ。

 「あの人(オウム真理教の実行犯)たちは、どうしてあっちの方に行ってしまったのか。そのことはちゃんと解明しておかなくてはいけないことです。皆死刑にしておしまいというのではいけないことなんです。」
村上さんはオウム裁判も多く傍聴してきた。教祖にサリンをまいてこいと言われ、そのまま従った人たちの姿を見てきた。その体験を通して「戦争の問題を凄く考えた」という。
 「戦争中、情感から捕虜を殺せと言われたら、ノーとは言えないわけですよね。日本人は戦争でそういうことをやってきた。そのことに対する日本人の本当の自省の念というのは、まだ出てきていないと思うんです」


■ 戻れる力


 これに関して、村上さんはリー・クアンユー・シンガポール元首相が日本の新聞に寄稿した記事のことを紹介した。元首相によれば、戦争中、シンガポールを占領していた日本人は信じられないほど残酷だった。だが戦争が終わり、英国人の捕虜になると皆、良心的で懸命に働き、シンガポールの街をきれいに清掃していったという。

 「これは日本人の怖さみたいなものを物語っている話だと思うんですよ。良心的で懸命に街をきれいにする日本人がある日、突然、残虐行為を働く人間になってしまう可能性も示している。きっとどの国民にもあるのでしょうが、日本人は特にそういう面が強いんじゃないかという気がしてしょうがないのです」
 だが日本人がそういう世界へ行かない力、オープンな世界に戻れる力についても、村上さんは「アンダーグラウンド」の仕事を通じて学んだという。取材で出会ったサリン事件の被害者たち、ごく普通の人たちから実に多くの事を得たのだ。

 「この人たちは一人一人それぞれに弱いところもある。でもその六十何人もの普通の人たちの声が、一つのボイスになると、すごい説得力を持っていて、信頼していいような力を感じました。自分が変わるような経験でしたね」
 「だからこそ」と村上さんは続けた。「そのボイスが、戦争みたいなことに引きずりこまれないことを真剣に望んでいます」



団塊世代としての落とし前


村上春樹さんは一九四九年生まれの団塊の世代の作家だ。この世代の問題に対する思いも深い。
 「僕らの世代は大学時代に理想主義を掲げ、革命というものを信じてないのに革命闘争をやったような”いいとこ取り”したような面があると思うんです」

 ところが、学生時代が終わると、多くは会社員となっていった。
 「もうこれは終わったのだとと思って、今度は企業戦士となり、どんどん経済を発展させてバブルを作り、次にはそれがはじけてチャラにしてしまった。この中核にいるのは団塊世代です。だから誰かが責任をとらなくてはいけないと思うんですよ」

 深い自省の念も持たずに、新しい事態にパッと変わってしまう人たち。団塊の世代もまた典型的な日本人なのだ。
 「僕もその団塊世代の一員ですから、小説家として、その落とし前はつけなくてはいけないと思っているんです。日本の戦後の精神史における落とし前ですね」


■ 人を救う

日本のバブルが崩壊した一九九〇年代前半は世界的にには冷戦構造が崩壊した時期だった。誰もが平和がやってくると思った。だがやってきたのは混沌たる世界だった。

 「特に9・11以降、次に何が起きるか分からない、予測のつかない世界を生きている。僕の書く小説には次に何が起こるか分からないという物語なんです。共感を呼んでいるとすれば、そのあたりかもしれません」
 日本人もこれまでは一生懸命は働けば、生活が豊かになり、幸せになって行くんだという幻想を持っていた。だがそれも全部砕かれてしまった。

 「だから自分とは何かという事実に向き合わなくてはならなくなってしまった。でもそれはすごく不安なことなんです」
 だが村上さんはそういう時だからこそ、物語が力を持つという。
 「人というのは、そんなに上とか下とか、前とか後ろとかで決められるものではないんです。それぞれの人には物語があり、その物語の中で生きている。それが人を救うんです。僕の書きたいのはそういう物語。明るい物語ではないけれど、ある暗さの中で共振するものを見いだすことで、救われるような物語です」


■ 総合小説

 かつて村上さんは「世界の混沌をそのまますっぽりと呑みこんで、しかもそこにひとつの明確な方向性を示唆するような、巨大な『総合小説』を書いてみたい」と記したことがある。

「僕の考える総合小説はいろんな人のいろんな視線があって、いろんな物語があって、それが総合的なひとつの場を作っている小説です。そのために三人称にならないと書けないですね」
 村上さんの初期作品は「僕」という一人称の主人公が特徴的だった。だが二〇〇〇年以降刊行の「神のこどもたちはみなよく踊る」「アフターダーク」は、三人称で書かれている。今、書いている「やたら長い」作品も三人称の総合小説だろうか。村上さんはその質問には直接答えてくれなかったが、作品の大事なポイントを教えてくれた。

 「それは『恐怖』です。手応えはある。僕の重要な作品になるような気がする」とのことだった。
 村上さんは現在五十九歳、来年は還暦。「でも枯れたくはないですね。『悪霊』を書き、『カラマーゾフの兄弟』を書いたドストエフスキーのように年を取るごとに充実していきたい」と語った。

2009年6月7日日曜日

日本のWebに「失望」




「ウェブ進化論」(ちくま新書)の著者としても知られる作家で経営コンサルタントの梅田望夫さんのインタビューが、波紋を呼んでいる。これまでは、ウェブの世界については楽観的な発言を繰り返してきた梅田さんだが、インタビューでは、日本のウェブについて「残念」と発言。これまでの考え方を覆したかのように見えることから、「はてなブックマーク」上では、1400を超えるコメントがつくなど、異例の事態に発展している。

■「比較論で言えば英語圏と日本語圏とずいぶん違うと思いますけどね」

 波紋を呼んでいるのは、ニュースサイト「ITmedia」に2009年6月1日に掲載された、梅田さんの長文インタビューだ。

 梅田さんは06年に「ウェブ進化論」で、ウェブの「次の10年」がどうなるかを予測。「ウェブ2.0」という言葉が広まるきっかけの一つとなった。同書では、ネットは「善」であるという立場が貫かれており、ウェブ2.0についても、

  「精神的支柱になっているのはオプティミズム(楽観主義)と果敢な行動主義である」

と断言している。それ以降の「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)といった著書でも、ウェブの可能性を強調し続けていた。

 ところが、今回のインタビューでは、この楽観主義が一転したかのような発言が目立つのだ。まず、梅田さんは、日本のSNSについて、

  「上に上がるため、自分を高めていくため(の役割を果たしている)、という流れがあるかというと、部分的にはあるかもしれないけれど、比較論で言えば英語圏と日本語圏とずいぶん違うと思いますけどね」

と、米国と日本とを比べた時に、国内のSNSはインフラとしての役割をあまり果たしていないことを指摘。

 また、08年11月、梅田さんが「ツイッター」に

  「はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶ(編注: 「はてな」が提供している「はてなブックマーク」)のコメントには、バカなものが本当に多すぎる」

 こう書いて批判が殺到したことについては、

  「日本語圏のネット空間において、ユーザーが100万人とかいるはてなの取締役であると。そうすると、日本語圏のネット空間について、何かネガティブなことを語るということは、『おまえは自分の利用者を批判するのか』というコメントがあったわけ。それについてコメントすることも、僕はやめようと思ったんだよね」

と、日本のネット環境に対しての息苦しさを示唆した。

■「"上の人"が隠れて表に出てこない、という日本の現実」

 また、梅田氏は、一部の非常にすぐれた人がウェブを通じて表に出てくれば「知」を共有でき、実際に、英語圏ではそのような層がリーダーシップをとっているとの持論を展開。その上で、

  「素晴らしい能力の増幅器たるネットが、サブカルチャー領域以外ではほとんど使わない、"上の人"が隠れて表に出てこない、という日本の現実に対して残念だという思いはあります。そういうところは英語圏との違いがものすごく大きく、僕の目にはそこがクローズアップされて見えてしまうんです」

などと説明している。

 これまでの「ポジティブ思考」から大きく方向転換したともとれる内容なだけに、ネット上での反響は多く、特に、記事に付けられた「はてなブックマーク」の数は1400を超えている。

 書き込まれた内容はというと、記事のタイトル「日本のWebは『「残念』」をもじったのか、

  「はてなが残念」
  「これは残念」

といったものが目立つ。中には、

  「すねちゃったいじけ親父のお話」

という声もあり、梅田さんの心が半ば折れてしまったと感じた「はてブ」利用者も少なくない様子だ。

2009年4月4日土曜日

オーバーカンパニーとボーダレス



日本の産業構造の特徴としてオーバーカンパニーが指摘され続けてきた。確かに、日本の業種ごとの数は諸外国と比べて明らかに多過ぎる。これは敗者を生まないようにお互いの縄張りを侵さないという暗黙の了解の上に成り立つ。「弱者の理屈」だともいえる。

 また、企業内でも儲かっている部署は収益力の劣る部門で働く人たちを仲間として「相互扶助」という精神で成り立っていた。産業を監視する立場の官庁も「天下り」という果実を得るため、あえて、競争を促す政策を取らなかった。

 つまり「もたれ合い」が全ての産業で行われていたのだ。今回の金融恐慌は確かにわれわれの生活に大きな不安を与えたが、もう一方で、永年課題となっていた上記の日本的な伝統的慣行、価値観を払拭する契機を与えてくれるかもしれない。オーバーカンパニーは解消に向かうのだろうか。


今回の金融恐慌は震源地、英国や米国の金融機関の業績悪化は当然として、世界中の金融機関を巻き込む大きな経済問題となった。それは実体経済の裏づけのない、一種の金融ギャンブルが世界規模で行われたことを意味している。その元凶を探ると、結局、米国の地価バブルに行き着く。

 つまり、日本の不動産バブルと根本的には同じ構図だ。日本の土地バブル崩壊との違いは、土地を担保に金を借りている人の数が、日本とは桁違いに多いということ。一般の消費者が、自分の不動産を担保としたカードローンで、さまざまなものを購入してきた仕組みが完全に崩壊したのだ。その結果、極端な信用収縮が起こり、世界最大の米国消費者市場は崩壊した。

 製品の海外輸出、中でも米国市場に売上の多くを依存していた日本の優良企業も大きな影響を被った。多くの企業は大幅な収益悪化に見舞われ、利益縮小、場合によっては赤字に転落した。

 その結果、各企業は自社の事業内容を一から洗いなおさざるを得なくなった。彼らが導き出した結論は「中核ビジネスへの経営資源集中」だ。まず始めるのは自社内で完結できる組織の見直しだ。見直しの過程の中で、利益を生まない部門は閉鎖とか、売却の対象となる。日本的な相互扶助は急速に過去の遺物となりつつある。

 その最も典型的な例が日立製作所であり、東芝だ。両社とも、日本を代表する総合家電メーカーだが、重電と家電の両方の市場で大手だ。日立は洗濯機や冷蔵庫のような白物家電では名門の一つであり、東芝はテレビ事業で世界的に認知された企業でもある。


ちょっと気になることがある。重電に経営資源を集中するというが、本当にそれでよいのだろうか。そもそも重電という概念は日本独自のものだ。世界を見回せば、日本のような業態は非常に珍しい。

 ライバルと目されているのは、ドイツのSiemens、米国のGE、スウェーデンのABB、フランスのALSTOM Transportだが、日本のようにモーターから発電機、列車、エレベータ、MRIに代表される医療器械まで、これだけ多品種のラインアップをそろえている会社はない。どの企業も得意分野を持ち、そこに経営資源を集中している。その結果、彼らが対象としている市場で世界的に大きなシェアを獲得しているのだ。

 それに対し、日本企業は、海外の企業との競争より、日本国内市場での競争を優先し、品ぞろえを中心に据えてきたため、どのビジネスカテゴリーでも、圧倒的な地位を確保していない。むしろ、圧倒的な地位に立つことを恐れているかのように見えるのはわたしだけだろうか。その点で、東芝が原子力に目をつけたのは正しいといえる。ライバルは米国のGEとフランスのAREVAしか存在しないからだ。


日立製作所と東芝が業績を回復する原動力として重電に経営資源を集中するということは、それ以外の事業は中核事業ではなくなるということを意味する。半導体とかコンピューター、家電、自動車機器部門などは原則として切り出されるか、外部の企業に売却されることを意味する。

 考えるだけでも恐ろしい事が起こりかねない。仮に、日本メーカーのコンピュータ部門が1つ売却されるとしたら、日本の主要ベンダーの一角が崩れるという話だけでは済まない。買収に手を上げる企業は、IBMあるいはHPなど世界の大手ベンダーに限られる可能性が高い。その結果、世界のシステム、ビジネス市場の寡占化は一層進む。

 このように、今回の金融恐慌の与えたインパクトにより、中核事業への経営資源集中という名の下、一挙に国際化が進む可能性が高いのだ。結局、日本市場は今回の金融恐慌をきっかけに、事実上の「鎖国状態」を脱する可能性がある。


また、両社が家電部門を売却するとなれば、現在はパナソニック、ソニー、シャープがシェアを高めている薄型テレビ市場でも、現在の熾烈で不毛な価格競争が収束に向かい、上位企業の市場支配力が高まる。また、他の家電製品も概ね同じような傾向を示すだろう。

 以上のような話は、電機業界に限ったことではない。今回の金融危機とそれに続いた円高の進行で、自動車業界も日本国内ではほとんど利益を出すことができず、収益を海外に求め、補ってきた構図が明らかになった。しかし、その構図も完全に崩壊したといえる。今後は自動車業界もトヨタを筆頭に2~3社(グループ)に統合されるに違いない。

 それはまるで、大手金融機関が三行に統合されたこと、流通がIYグループとAEONグループへ統合に向かっているのと似通って見える。

 おそらく、今回の不況からの完全脱出には数年を要することは間違いないだろう。その暁には、現在は2000社以上ある東証上場企業の数が半分以下に減少する可能性は非常に高い。


日本への進出に成功した企業がある一方、日本市場は独特という意識を持ち、進出を諦めた世界的な大企業が数多くある。これは、日本国内の市場が外資から守られていると考えられる一方で、外国から日本への資本投資が少ないとも言える。

 また、仮に日本進出に踏み切ったとしても見合うだけのリターンが得られない場合、進出は失敗だった、そのような市場に資金を滞留するだけ無駄だと判断されるのは至極当然だ。これが、円高が急速に一つの理由でもある。欧米の金融機関は本国の台所事情が厳しくなり、現金が必要になり、日本の不動産やや株を売却、ディールの元金を調達した円キャリートレード解消(早い話が借金を返した)のだ。

 資本の論理は実に冷酷だ。そこには我々が永年親しんだ「情実」など存在する余地はかけらもない。日本独自の「ぬるま湯体質」は実は非効率であり、廃すべき悪しき慣習なのだ。その辺をわきまえないと、日本市場が真に海外の企業や資本にとって魅力的には写らず、結果的に不況が長引いてしまう。


ただし、実際に日本への進出に成功した企業を見る限り、日本以外の拠点と比較しても、それほど大きな遜色はなさそうだ。つまり日本の市場は独特だというのは一種の「幻想」に過ぎないとわたしは考えている。ユニクロを運営するファーストリテイリングの成功は、日本独自の「完璧なまでのサービス」が自己満足に陥っているという事実を否定しかねない。

 日本で生産し、それを輸出することで外貨を獲得し、収益を高め、安定した利益を確保するという構図は今や過去のものとなってっしまった。

 これからは、全世界で幾つかの生産開発拠点を設け、それぞれが担当する市場に最も適した製品を供給する。それを支えるための強固なブランド力と製品開発力、マーケティング能力が求められているのだ。

 その点からも、今回の不況で、あまり業績を悪化させていない、資生堂やキリン、キッコーマンなどは今後も世界的な成長を期待される存在だ。彼らに共通するのはやはり高いブランド力だ。販売網に関する配慮も他の日本企業を圧している。生産拠点への配慮も十分出来ている。このような企業は決して、上記3社のように日用品の業界に限ったことではない。

 どの国であれ、ユーザーが真に求めているモノを合理的で適切な価格、高いブランド力を背景にライバルより少しでも多く販売できる企業が今後のサバイバル戦争を勝ち抜けるのだ。そのことを経営やマーケティング、情報を握る人達は、胸に刻み込まなければならない。


http://www.itmedia.co.jp/

2009年3月10日火曜日

Driftin'




3週間に及んだエリック・クラプトンの日本滞在記

2月6日(金)
ロンドンの天候不順のため到着を1日早めて日本到着。
車に乗ると戻って来れてうれしいよと。
そのままホテルへ。社長の出迎えを受ける。
今日の予定は?と聞くと特にないから散歩したり昼寝したりするから夜の食事までは何もないよとのこと。
19時過ぎにドアをノックする音がして、そのまま食事へ。
日本に着いたら社長と食事っていうのは決まってるんだとか、昔のキャピトル東急は素敵なホテルだった、自分の部屋は最高だったんだけど、他の人たちの部屋は最悪だったんだよね狭くってと笑ってた。
ホテルには最上階にバーなんてあった?とロストイントランスレーションの話で、それはパークハイアットだよと伝えるとどこか話すのにいいところはない?というのでホテル2Fのフレンチキッチンへ。
カモミールティーをのむ。

2月7日(土)
ロビーで待ち合わせて原宿へ。
駐車場に入れ歩いてお買い物。
その後、ホテルへ戻りてんぷらやへ。
夜と同じコースを食べたのでおなかいっぱい。
夕方また原宿へ。
何店かまわり再びお買い物。
しかしキャッシュしか使えないので取り置きして貰うことに。
夜はしゃぶしゃぶへ。

2月8日(日)
10時に出発してスタジオへ。
途中休憩、ランチを挟みながら16時過ぎまで。
夜のディナーにコーラスの michelle と sharon を連れて行きたいけど席は大丈夫?と聞かれる。
19時30分ロビー集合で食事へ。
椎茸、きんき、アスパラガス、刺身、焼き鳥、つくね、なす、じゃがいもを食すが、全部で終わった後、これで終わり?メインがくると思ってセーブしてたからお腹減っちゃたよと。
ホテルへ戻り、バニラアイスとカモミールティーを。
明日のディナーはふぐだ。
ふぐをさばくには特別ななんかがあるんでしょ?と聞くので免許がないとダメだよ、資格がない人がさばくと毒で植物人間になったり死ぬよというと死ぬのはかまわないけど植物人間はイヤだわと笑ってた。

2月9日(月)
10時出発でリハーサルへ。
スタジオで昼休みにjeff と話したいと先方のツアマネに連絡するもなかなか電話がかかってこず、ひたすら電話待ち。
やっと電話がかかってきてちょっとした打合せ。
スタジオ内が暑いとの情報が。
スタジオ外のオフィスあたりの窓、扉全開にして空気を。
みんな寒い寒いとジャケットを着込む。
そこへ、休憩しに出てきた ec が。わぁお、ここは寒いなぁと。
なんでこんなに寒いんだい?中に戻ろうかなと。
だってあなたが暑いって言ったっていうからって言われると、なんだって?
オレが言ったって? call と cold の聞き間違えぢゃないのか?と大笑い。
そこへ、chris が出てきて、ここはおぉ寒いとひと言。
一同大笑い。
リハ終了後、ホテルで社長と待ち合わせふぐへ。
初めてこういう本格的なふぐ料理を食べてすべてに大満足。
お腹いっぱいとお腹をたたく。
コース料理のテンポ、味、仲居さん、パーフェクトでした。
ホテルに戻ってバニラアイスとカモミールティーを。

2月10日(火)
10時出発でリハーサルへ。
今日は jeff beck との共同リハ。
やっぱり凄いわ、この2人。ハンパない。
たまにどうするとか相談しながらリハを進行。
リハ終了後はいったんホテルへ戻り、家族と web チャット。
その後、お買い物をして食事に。

2月11日(水)
10時45分に出発で大阪移動。
大阪到着後はホテルに入り、前回行ったカメラ屋に行こうと思ったが祝日は休みとのことで doyle を連れてお買い物へ。
帰りに doyle が前回買った指輪のお店を探しにアメ村へ。
ちょっとウロウロするが思い出せず、ホテルへ戻る。

2月12日(木)
午前中 doyle と一緒にカメラ屋へ。
ここのコレクションは凄いと感心してた。
レンズをひとつお買いあげ。
epson の R-D1s というカメラに興味を持ってた。
どこでも手にはいるよと言われ、今度買おうという感じだった。
お店を出たとき、サラリーマンの人が ec に泣きながらサインを求めてきた。
快くサインをするも号泣してるのでちょっと困った顔。
握手をして分かれたが、doyle に彼に何をしたんだ?とからかわれてた。
一旦ホテルへ戻ってから会場へ出発。
着いたらサウンドチェックを。
i shot the sheriff やらを。
そしてショー。
音がよかったと終演後に満足。

2月13日(金)
10時30分にロビーに降りてカプチーノを。
doyle を誘ってるので doyle も合流、そこに朝食を食べ終わった peter と abe も合流。
今後の活動についてちょっとミーティング。
その後はお買い物、そしてランチ。
ec と abe は天ぷらうどん、doyle は鍋焼きうどんを食す。
doyle が中に入ってたドーナツ型の麩をこれなぁに?と聞くと ec は krispy cream みたいだなと笑う。
天ぷらうどんを食べながら昼のごはんにはベストだといいながら完食。
doyle が前回日本に来たときに、derek と歩いてたらファンが寄ってきて、derek、あなたのギターは素晴らしい、doyle には、あなたはストレンジィと言われたと言ってみんな爆笑。
夕方会場へ。
会場では関係者の人が持っている cream 時代のファイアーバードをその昔チャリティーオークションで手放して以来の久々の対面。
軽く弾いて、うん、これはもの凄くいいギターだよと。
当時使っていた3本の中で一番いいギターだったと。
ネックの傷とかを憶えてる?と聞かれ、いや、まったく憶えてない、 cream 時代は飲んで薬でと一番酷かったからって言って笑ってた。
また自分に見せてくれてありがとうって言っていた。
いいギターだから大事にしてくださいって。
帰る間際、ファイアーバードにサインを頼まれ快くサインをする。
ギターに?と聞くと持ち主はとんでもない、ケースでお願いしますと言うとthat's good ! と言って笑ってた。

2月14日(土)
ホテルを出て東京へ向かう。
駅に着いて少し時間があったので構内のコーヒーショップに入りカプチーノを。
電車の中でカツサンドとサンペリグリーノを手渡す。
食後はもちろんバニラアイスクリーム。
東京に着くと原宿でお買い物。
夕食は焼肉。
何にしようか悩んでたので、オレが頼もうかと?聞くとそれでいいよと言うので、上カルビ、ハラミ、ロース、上ヒレ、レバー焼き、チヂミ、キムチ、サラダ、チシャなどを頼む。
結構な量だったけどみんな完食。
全部食べたんだ?よしっとひと言。

2月15日(日)
今日のランチはホテルで。
となりの人が煙草を吸ってて、日本では公共の場で吸ってていいんだ? 英国だと法律があるからどこもダメだよ、フランスは酷くてみんな片手でなにか食べながら片手で同時に吸ってると言って笑ってた。

2月16日(月)
この日は上野のアメ横へ。
車の中で iPod をかけ、van morrison がかかると、彼は日本に来たことがあるの?ないんだ?彼は great ! だよって言ってた。
上野に到着。
アメ横あたりを歩きながら great ! とひと言。
お店でプレゼント用にスカジャンを購入。
そして doyle と合流するため原宿へ。
ランチは馴染みのとんかつ屋。
お店に入ると、戻って来れてうれしいとひと言。

2月17日(火)
移動の車の中で haribo というグミを出してこれ好き?って聞いてきたので好きだよ、うちの子供も大好きだしというと、こういうの大好きなんだよねとグミグミしながらひと言。
また、中川外相のプレス会見みた?酔っぱらいだったなぁ、まったくしゃべれてなかったと笑ってた。
秋葉原を通過中、ダウンタウンだ!こういう街好きだと。
そして駐車場から歩きながら、1日中過ごすのもいいな、この街で、次のオフかな?と言ってた。

2月18日(水)
今日のショーは素晴らしかった。
いや、ホントに。
自分的にはここまででのベストショーだと思った。
バンドがハンパなく凄かったし。
あとで doyle にも聞いてみたらすごく良かったと。

2月19日(木)
帰りの車中では "shine" って曲が iPod から流れこれ joni mitchell ?新しいヤツ?と聞くと1年くらい前のヤツでアルバムは普通なんだけど、この曲は大好きだって言ってた。
そういえばこのあいだ van morrison のアナログを ebay.uk で買ったよというと、どのアルバム?っていうので cheiftans だよと言うとグレイトアルバム!でも iPod に入れるのにコンバートできるの?それともプレイヤー?って言ってた。
17時30分出発で会場へ。

2月20日(金)
エレベーターで下に降りてるときに他の階から2人の西洋人が乗ってきた。
1人はポロシャツにバミューダ、一人は2メートルくらいの大男でバスローブを着てた。
バスローブ男がポロシャツに you know this guy ? ってちらちら見ながら言うもんだから ec が me? と聞くとそのまま he looks like eric clapton. て言うから、 ec が do i ? と言い、yes と。
そのままその2人はフィットネスのフロアで降りていった。
その後、ec は western, ホントに rude だ。
respect のかけらもない。
ましてやこの国にいると余計にそう感じるよ。って嘆いていた。
カプチーノを飲みながら今日の動きの確認を。
移動の中であくびを連発するので、まだ時差ボケあるの?と聞くと、いや、ないよ、雨が眠気を誘うんだよねって言ってた。
途中、bruce hornsby が流れると彼は日本に来る?と言うので、いや、80年代とかに来たっきりぢゃないかなと言うと、bruce は凄くいいヤツで音楽も大好きなんだって言ってた。
帰途ホテルへ着く直前、FM で deep purple の smoke on the water が流れ、リフの部分を口笛でくちずさむ。
結構、レアだな、こういうのは。
部屋に入るまでの廊下でも smoke on the water を口笛。
夕食のレストランに向かう車の中で anthony hamilton がかかり、これ、さっき FM でかかったヤツだよ。
さっき聴いてよかったから買ったんだ。
anthony hamilton は大好きだし。と。
他に duffy もさっき聴いて購入してた。

2月21日(土)
昨日オレの友人からプレゼントされたポータブルのアナログプレイヤーは素晴らしい、今まで聴いたことないソウルのレコードも素晴らしかったって言って喜んでた。
ロビーにおりると jeff も降りてきてしばし談笑。そして会場へ。
会場に着いたらそのままステージへ。
サウンドチェックを。
合同でもこなす。
帰りの車の中で iPod で snooks eaglin の see see rider がかかり、彼は盲目のニューオリンズのアーティストで座ってプレイするんだけど素晴らしい、彼は天才だよと。
でも2日前に亡くなってしまったんだよねって言ってた。

2月22日(日)
買い物先でjeff beck への贈り物をセレクト。
会場で手渡されたプレゼントのフェザーを jeff はステージで身につけてた。
終演後、バンドラウンジで jeff のバンド、ec のバンドで団らん。
帰りの車の中では、it went well ! って言ってた。
jeff ってのは話せば話すほどいいヤツだな、もの凄く sweet だと言っていた。
また、かかっていた曲や車の話で盛り上がる。

2月23日(月)
3年ぶりに再会した日本の友人のためにギターをプレゼント。
モノはマーチンのアコギでプロトタイプだから世界に3本しかないうちの1本目。
手渡したその場で弾いて見せようか?って2曲ほどプレイ。
日本に来るたびにここへ来てギターを弾こうと言いながら。

2月24日(火)
ホテルのロビーで、ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど、いつもオレは口笛を吹いてるんだけど、日本では失礼な行為なの?あんまり街で口笛を吹いてる人をみないんだけど、って言うので、そんなことはないよ、問題ないよ、でも子供の頃には夜口笛を吹くと蛇がでるって言われたことがあるっていうと、あ〜、なんかそういうのは聞いたことがあるって言って笑ってた。

2月25日(水)
夕方、ホテルをでて会場へ。
会場に着くともの凄い数のフラッシュがたかれ、何事かと。
聞いてみると玉置浩二さんと石原真理子さんが結婚し、見に来るんだと。
今日のショーは wowow のカメラが入っている。
3月に放送予定。
マネージャーにステージ前のカメラが邪魔だったら言って欲しいって言われるまで収録のことを忘れてたよ、それがかえってよかったかもねと。
ec が今日は昨日よりももっとリラックスして弾けたのでより一層弾けたと。
素晴らしいショーだった。

2月26日(木)
19時30分にホテルを出て band & crew の社長ディナーへ。
abe が肉の焼き加減を聞いてきたのでオレはウェルダンというか焦げてるくらいがいいんだよね、赤いのはちょっとというと、abe は肉汁だめなの?そうなんだ?オレはちょっと焼いて裏返してちょっと焼くくらいのがいいなぁ。
それを聞いた sharon はわたしも良く焼いた方がいいと。
willie はミディアム。
abe が ec に聞くと、 aki と同じで焦げ目を味わうくらいがいいって言ってた。

2月27日(金)
ホテルのエレベーターホールで今日は雪だよと言うと、雪?ファンタスティック!って言ってた。
車に乗り込んで走り出すと、これは英国では sleet って言うんだよ、雪だけど、地面に着くと水に変わる状態をねと。
ランチで、メニューを見終わり、何にした?って聞くのでペスカトーレにしようかな、ec は?と聞くとペンネボロネーズって言ってた。
で、食べ始めるといつものようにあっという間に食べ終わり、目と目を合わせてクイックだなって笑ってるので、いつも2人で食べると早いよねっていうと、今日はオレが勝った、ほんのちょっとの差だけどって言うから、でもオレのは殻があるからっていうと、笑ってた。

2月28日(土)
車を停めようといつもの路地に入ろうとするも工事中で入れず、でも係員のおじさんに事情を説明すると迂回の看板をどけてくれてトラックの前に駐めさせてくれた。
ec はそれを見て so kind と感激。
用事を終え車に戻るとおじさんがまた看板をどけてくれ誘導してくれた。
それを見て、英国じゃ絶対ありえないよと。
英国じゃ go away ! って言われるかもっと汚い言葉で言われるよ!
なぜ日本が大好きなのかという理由にはこの国には respect っていうものがある。
また昔の古き良き英国を思い出させてくれるからって言ってた。

3月1日(日)
オレの友達みんなが素晴らしいツアーをありがとうって言ってたよ、ec のツアーはお祭りみたいなもので、地方に散らばってる友達がみんな集まってショーを楽しんで、終演後、食事や飲みに行って楽しんでる、でもツアーが終わって、あ〜、ツアー終わっちゃったよと言ってると言うと back to normal って言いながら笑ってた。
今日で ec とお別れ。
ゲート前お別れするとき、素晴らしい仕事ぶりだった、いつも滞在を楽しんでいるよ、オレたちはブラザーだ。
次回は子供達を連れてきたいと思ってるよと。
18時30分のニュージーランド航空90便でニュージーランドへ。

2009年2月15日日曜日

2009 ダイアリー Vol.2





佐々木さんのキャリアと手帳術
http://allabout.co.jp/career/careerplanning/closeup/CU20051209A/index2.htm


アクションプランナー
http://www.ewoman.co.jp/ap/


奥野宣之さんが使っているスケジュールシート
http://www.nana-cc.com/note/note.html



2009年2月8日日曜日

トラベラーズノートのパスポートサイズ




2006年に発売した「トラベラーズノート」は、ペンホルダーやゴムバンド、リフィルなどのオプションを追加してユーザーがさまざまにカスタマイズできるノート。

カバーにはタイ産の牛革素材を使用している。公式Webサイト「トラベラーズカフェ」では地下鉄路線図やカレンダー、世界地図、度量衡換算表など16種類のリフィルを公開しており、無料でダウンロードできる。


 3月18日に新発売の「パスポートサイズ」は、旅先や外出先で思いついたアイデアや情報を書きとめるのに適したノート。

ミシン目入りの無地リフィルには、薄くて軽いオリジナル用紙を使用している。通常サイズと同様にカバーは牛革製で、黒と茶の2色を用意する。


 サイズは134×105×10ミリ(縦×横×厚み)。同時発売のリフィルは横罫/無罫/セクション(各252円)と、レシートやコインなどを収納できるジッパー(378円)の4種類をそろえる。


 デザインフィルではこのほか、通常サイズのトラベラーズノート用新リフィルも発売する。

日付が入っていない自由なダイアリーとして使用できるリフィルで、見開き1カ月タイプの「月刊フリー」(630円)と、見開き1週間タイプで6カ月分を1冊にまとめた「週間フリー」(735円)の2種類。

http://blackpeaks.blog2.fc2.com/blog-entry-746.html

http://blog.process5.com/?eid=822188

http://www.midori-japan.co.jp/tr/product/3rd_anv/