2009年6月21日日曜日

物語は世界共通言語





魂の中に降りていく作業

 「今、次の長編を書いています。長いんです。やたら長いの!」
 村上さんは現在執筆中の長編のことから、話し始めた。

「毎日5、6時間も机に向かい、もう1年2ヶ月ぐらい、ずーと書いている」という。
 昨秋、村上さんは『走ることについて語るときに僕の語ること』を出版した。
フルマラソンのランナーとして、トライアスロンの選手としての自身の体験を書いた本だが、
それは「走ること」と「書くこと」の関係を記した本でもある

 「『羊をめぐる冒険』(1982年)を書き終えて、すぐに走りだしたんです。
これを書いて、長編小説を書くのは大変なことだなあと思った。
運動して、体をしっかりしていないといけないと思ったのが動機ですね」
 ”原稿用紙にたばこのにおいが染みついている”ほどのヘビースモーカーだったが、
そのたばこも同時にやめてしまった。


■ 一に足腰

 「30代と同じ物語を書いていては駄目で、
一作ごとに新しい可能性を広げていかないと物語というのは発展していかないんです。
そのためには何か広げていく力というのが必要。それが走ることなんです。

毎日長い時間座って考え、書くことは大変です。『一に足腰、二に文体』ですよ」
 夜は早く寝て深夜起きて、2時か3時ぐらいから朝まで小説を書き、
そして走るという日々。その村上さんの小説は今、世界で読まれている。
 日本でも出す本がすべてベストセラーになる超人気作家だが、
海外での人気ぶりを分かりやすい目安で示すと、村上さんの年収は海外分が、
既に国内分を上回っている。

「そういう事態になった時は、僕もすごく驚いた。(マネージメントをする)事務所の人たちの
仕事量も今は3分の2は外国とのものです」
 これほどの人気作家は日本文学史上初めてのことだ。
本人は世界的人気の理由をどのように考えているのだろうか。

 「理由ははっきりとはわからないですね。
でも物語の面白さと文体が割とユニバーサルな浸透力を持っていたからではないかと思います」
 「物語」と「文体」についてさらに聞くと。
 「物語は世界の共通言語ですよ。面白い物語は誰でも読む。
例えばディケンズの物語が面白ければ、どこの国の人でも読むんですよ。
僕の文体は日本語の日本語性みたいなものに、あまり寄りかからない文体です。
だから翻訳過程で失われるものが、比較的少ないのではないかと思います。」


■ 同じ世界

 どうして物語は世界共通言語となるのだろう。
 「物語を書いていくことは、自分の魂の中に降りていく作業です。
そこは真っ暗な世界。生とも死とも不確かで混沌としている。

言葉もなければ、善悪の基準もない世界」
 人々が生活する社会では各国で言葉も違う。環境も違う。思想も違う。
 「でも魂の世界まで降りていくと、そこは同じ世界なんですよ。

それゆえに物語がいろいろな文化の差を超えて、理解し合えるのだと思う」
 さらに加えて、村上さんは「だからこそ、世界中、これだけ文化が違っているのに、
神話というのは、似通った部分がすごくあるのだと思いますよ」と語った。


日本の怖さを映す戦争
 
去年亡くなった臨床心理学者の河合隼雄さんが、唯一、繰り返し対談する年長の知識人だった。
 「僕が『物語』という言葉を使って話すときに、その意味をきちんと理解してくれるのは、河合先生ぐらいだった」

 村上さんにとって、物語を書くことは魂の奥深く降りていくこと。
 「物語というものは非常に有益なことでもあるのですが、一方でものすごく危険なことでもあるのです。このことを河合先生は本当によく分かっていた。単なる研究者ではなく、実際の患者を診てきた人ゆえの、戦場をくぐり抜けてきたみたいなすごさがありました。」


■ 自省の念

 人間は自分の中にそれぞれの物語を持っているが、魂の底まで降りていくと、その暗い部分から抜け出せなくなってしまう場合がある。

物語の危険性とはそのようなことだろうか。そこからどうやってオープンな世界に戻って来られるのか。
 「僕が『アンダーグラウンド』でやったことも、そういうところから来ていると思うんです」
 『アンダーグラウンド』は村上さんが地下鉄サリン事件の被害者やその関係者たち約六十人にインタビューしたノンフィクションだ。

 「あの人(オウム真理教の実行犯)たちは、どうしてあっちの方に行ってしまったのか。そのことはちゃんと解明しておかなくてはいけないことです。皆死刑にしておしまいというのではいけないことなんです。」
村上さんはオウム裁判も多く傍聴してきた。教祖にサリンをまいてこいと言われ、そのまま従った人たちの姿を見てきた。その体験を通して「戦争の問題を凄く考えた」という。
 「戦争中、情感から捕虜を殺せと言われたら、ノーとは言えないわけですよね。日本人は戦争でそういうことをやってきた。そのことに対する日本人の本当の自省の念というのは、まだ出てきていないと思うんです」


■ 戻れる力


 これに関して、村上さんはリー・クアンユー・シンガポール元首相が日本の新聞に寄稿した記事のことを紹介した。元首相によれば、戦争中、シンガポールを占領していた日本人は信じられないほど残酷だった。だが戦争が終わり、英国人の捕虜になると皆、良心的で懸命に働き、シンガポールの街をきれいに清掃していったという。

 「これは日本人の怖さみたいなものを物語っている話だと思うんですよ。良心的で懸命に街をきれいにする日本人がある日、突然、残虐行為を働く人間になってしまう可能性も示している。きっとどの国民にもあるのでしょうが、日本人は特にそういう面が強いんじゃないかという気がしてしょうがないのです」
 だが日本人がそういう世界へ行かない力、オープンな世界に戻れる力についても、村上さんは「アンダーグラウンド」の仕事を通じて学んだという。取材で出会ったサリン事件の被害者たち、ごく普通の人たちから実に多くの事を得たのだ。

 「この人たちは一人一人それぞれに弱いところもある。でもその六十何人もの普通の人たちの声が、一つのボイスになると、すごい説得力を持っていて、信頼していいような力を感じました。自分が変わるような経験でしたね」
 「だからこそ」と村上さんは続けた。「そのボイスが、戦争みたいなことに引きずりこまれないことを真剣に望んでいます」



団塊世代としての落とし前


村上春樹さんは一九四九年生まれの団塊の世代の作家だ。この世代の問題に対する思いも深い。
 「僕らの世代は大学時代に理想主義を掲げ、革命というものを信じてないのに革命闘争をやったような”いいとこ取り”したような面があると思うんです」

 ところが、学生時代が終わると、多くは会社員となっていった。
 「もうこれは終わったのだとと思って、今度は企業戦士となり、どんどん経済を発展させてバブルを作り、次にはそれがはじけてチャラにしてしまった。この中核にいるのは団塊世代です。だから誰かが責任をとらなくてはいけないと思うんですよ」

 深い自省の念も持たずに、新しい事態にパッと変わってしまう人たち。団塊の世代もまた典型的な日本人なのだ。
 「僕もその団塊世代の一員ですから、小説家として、その落とし前はつけなくてはいけないと思っているんです。日本の戦後の精神史における落とし前ですね」


■ 人を救う

日本のバブルが崩壊した一九九〇年代前半は世界的にには冷戦構造が崩壊した時期だった。誰もが平和がやってくると思った。だがやってきたのは混沌たる世界だった。

 「特に9・11以降、次に何が起きるか分からない、予測のつかない世界を生きている。僕の書く小説には次に何が起こるか分からないという物語なんです。共感を呼んでいるとすれば、そのあたりかもしれません」
 日本人もこれまでは一生懸命は働けば、生活が豊かになり、幸せになって行くんだという幻想を持っていた。だがそれも全部砕かれてしまった。

 「だから自分とは何かという事実に向き合わなくてはならなくなってしまった。でもそれはすごく不安なことなんです」
 だが村上さんはそういう時だからこそ、物語が力を持つという。
 「人というのは、そんなに上とか下とか、前とか後ろとかで決められるものではないんです。それぞれの人には物語があり、その物語の中で生きている。それが人を救うんです。僕の書きたいのはそういう物語。明るい物語ではないけれど、ある暗さの中で共振するものを見いだすことで、救われるような物語です」


■ 総合小説

 かつて村上さんは「世界の混沌をそのまますっぽりと呑みこんで、しかもそこにひとつの明確な方向性を示唆するような、巨大な『総合小説』を書いてみたい」と記したことがある。

「僕の考える総合小説はいろんな人のいろんな視線があって、いろんな物語があって、それが総合的なひとつの場を作っている小説です。そのために三人称にならないと書けないですね」
 村上さんの初期作品は「僕」という一人称の主人公が特徴的だった。だが二〇〇〇年以降刊行の「神のこどもたちはみなよく踊る」「アフターダーク」は、三人称で書かれている。今、書いている「やたら長い」作品も三人称の総合小説だろうか。村上さんはその質問には直接答えてくれなかったが、作品の大事なポイントを教えてくれた。

 「それは『恐怖』です。手応えはある。僕の重要な作品になるような気がする」とのことだった。
 村上さんは現在五十九歳、来年は還暦。「でも枯れたくはないですね。『悪霊』を書き、『カラマーゾフの兄弟』を書いたドストエフスキーのように年を取るごとに充実していきたい」と語った。

2009年6月7日日曜日

日本のWebに「失望」




「ウェブ進化論」(ちくま新書)の著者としても知られる作家で経営コンサルタントの梅田望夫さんのインタビューが、波紋を呼んでいる。これまでは、ウェブの世界については楽観的な発言を繰り返してきた梅田さんだが、インタビューでは、日本のウェブについて「残念」と発言。これまでの考え方を覆したかのように見えることから、「はてなブックマーク」上では、1400を超えるコメントがつくなど、異例の事態に発展している。

■「比較論で言えば英語圏と日本語圏とずいぶん違うと思いますけどね」

 波紋を呼んでいるのは、ニュースサイト「ITmedia」に2009年6月1日に掲載された、梅田さんの長文インタビューだ。

 梅田さんは06年に「ウェブ進化論」で、ウェブの「次の10年」がどうなるかを予測。「ウェブ2.0」という言葉が広まるきっかけの一つとなった。同書では、ネットは「善」であるという立場が貫かれており、ウェブ2.0についても、

  「精神的支柱になっているのはオプティミズム(楽観主義)と果敢な行動主義である」

と断言している。それ以降の「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)といった著書でも、ウェブの可能性を強調し続けていた。

 ところが、今回のインタビューでは、この楽観主義が一転したかのような発言が目立つのだ。まず、梅田さんは、日本のSNSについて、

  「上に上がるため、自分を高めていくため(の役割を果たしている)、という流れがあるかというと、部分的にはあるかもしれないけれど、比較論で言えば英語圏と日本語圏とずいぶん違うと思いますけどね」

と、米国と日本とを比べた時に、国内のSNSはインフラとしての役割をあまり果たしていないことを指摘。

 また、08年11月、梅田さんが「ツイッター」に

  「はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶ(編注: 「はてな」が提供している「はてなブックマーク」)のコメントには、バカなものが本当に多すぎる」

 こう書いて批判が殺到したことについては、

  「日本語圏のネット空間において、ユーザーが100万人とかいるはてなの取締役であると。そうすると、日本語圏のネット空間について、何かネガティブなことを語るということは、『おまえは自分の利用者を批判するのか』というコメントがあったわけ。それについてコメントすることも、僕はやめようと思ったんだよね」

と、日本のネット環境に対しての息苦しさを示唆した。

■「"上の人"が隠れて表に出てこない、という日本の現実」

 また、梅田氏は、一部の非常にすぐれた人がウェブを通じて表に出てくれば「知」を共有でき、実際に、英語圏ではそのような層がリーダーシップをとっているとの持論を展開。その上で、

  「素晴らしい能力の増幅器たるネットが、サブカルチャー領域以外ではほとんど使わない、"上の人"が隠れて表に出てこない、という日本の現実に対して残念だという思いはあります。そういうところは英語圏との違いがものすごく大きく、僕の目にはそこがクローズアップされて見えてしまうんです」

などと説明している。

 これまでの「ポジティブ思考」から大きく方向転換したともとれる内容なだけに、ネット上での反響は多く、特に、記事に付けられた「はてなブックマーク」の数は1400を超えている。

 書き込まれた内容はというと、記事のタイトル「日本のWebは『「残念』」をもじったのか、

  「はてなが残念」
  「これは残念」

といったものが目立つ。中には、

  「すねちゃったいじけ親父のお話」

という声もあり、梅田さんの心が半ば折れてしまったと感じた「はてブ」利用者も少なくない様子だ。